大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1463号 判決 1983年5月27日
控訴人
小田整形外科医院こと
小田一
右訴訟代理人
小牧英夫
小寺一夫
柴山誉之
山田庸男
川崎壽
被控訴人
国
右代表者法務大臣
秦野章
右指定代理人
五十嵐徹
外一名
被控訴人
公立学校共済組合
被控訴人
製鉄化学工業株式会社健康保険組合
被控訴人
兵庫県市町村職員共済組合
被控訴人
神戸製鋼所健康保険組合
被控訴人
兵庫県建築健康保険組合
被控訴人
日本毛織健康保険組合
被控訴人
社会保険診療報酬支払基金
右八名指定代理人
柳瀬孝吉
外五名
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一当裁判所も、控訴人の本訴請求をいずれも棄却すべきであると判断するものであるが、その理由は、次のとおり訂正するほかは、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。
原判決四一枚目表八行目から同五五枚目表八行目までを、次のとおり改める。
4 診療報酬請求権発生の要件
前示健保法に基づく保険診療の状況、及び、健保法の各規定に従えば、開設者である医療機関の申請に対する国の機関としての都道府県知事の指定によつて、右医療機関は保険医療機関とされるが、右指定は、右機関に対する療養の給付という委託を目的とした公法上の準委任契約であり、保険医療機関は、右制度上、命令の定めるところに従い、療養の給付を担当し、その診療に当るべきこととなる(健保法四三条の四第一項、同四三条の六第一項参照)。そして、これに関しては、療養担当規則に準拠して右給付のなされるべきことが法律上規定されているところであるから、右医療機関は、右委任の趣旨に従つた事務処理、すなわち、法及び規則に適合した療養の給付を行つた場合に、これにつき診療報酬請求権が発生すると解すべきであり、したがつて、右請求権の発生事実については、右医療機関において、これを主張しかつ証明する責任を負担すると認めるのが相当である。この点、自由診療においては、医師が診療当時の医療の状況に従い、患者との間に個別的に締結される準委任契約の趣旨に則つた適正な診療を実施した場合、これに関する診療報酬請求権が発生し、医師としては、医療法に依拠する以外に特段の制約を予定しないのに対し、保険診療の場合にあつてはこれと異なり、前示のような制度及び同診療に関する右記のような制約の存在することを前提とせざるを得ないところであり、このような状況から、右保険医療機関の診療が健保法ないし療養担当規則に適合するためには、保険医の診療が、保険者である患者に対する的確な診断に基づく疾病又は健康障害の存在を前提として、これに対する客観的に診療の必要がある場合に、しかもその限度において、右健康の維持増進ないし疾病の除去のため、当時の医学、医療の水準上適切妥当な治療を、その薬剤等の使用基準に従つて施行することが必要であつて(療養担当規則二条二項、一二条、二〇条)、更に、右制度上、特殊療法又は新療法の施行、ないし、指定医薬品以外の医薬品の施用を許容していないことを考慮すると(同規則一条、一九条)、保険医において、その独自な開発にかかり、なお一般の診療機関における共通の理解に至つていない療法を施行したというだけでは、未だ右のような基準に適合した療養の給付と評価することができないというべきである。
ところで、控訴人は、支払基金は、診療報酬請求に関し、診療内容に立入つて審査し、これを適応と認められないとして減点措置をとつているのであるから、衡平の要請上、被控訴人基金において、控訴人のなした診療の内容が適応と認められないことを主張、立証すべきであり、診療報酬請求としては、保険医療機関が療養受給有資格者に対し療養の給付をしたことで足りる旨述べているけれども、前示のとおり、審査委員会の審査については、審査委員会が学識経験者等から構成され療養の給付に関する審査に当つているものであることから、単に、診療報酬請求につき誤記、誤算があるか等の事務処理上の形式的審査にとどまらず、医療に関する専門的見地から、治療そのものが相当か否かの実質的な審査にも及びうるものと解すべきであるが、右は、いずれも診療報酬支払額を確認するためになされる広義の点検確認措置であり、これによる減点の措置も診療報酬請求に対する単なる履行拒絶の意思表示にすぎず、右医療機関の診療報酬請求権その他の権利義務に不利益な効果を及ぼすものではないというべきであるから、右支払基金による審査、減点の措置が手続的に規定されていることをもつて、診療報酬請求権の存否の主張と証明責任の帰属に変更があると解することはできない。
5 診療報酬請求権の成否
<証拠>によれば、控訴人は、そのいう股関節周囲炎に関する診療が医学上妥当なものであるとし、患者の股関節周囲組織に認められる圧痛点に対しステロイド剤を注射すること等により著効が得られることから、これにつき股関節周囲炎なる診断名により右療法を行つているもので、これが、診療を受ける患者にとつても有益であるとし、このほか、右は控訴人の独創によるものでなく、我が国においてその正当性が是認され、フランスの成書にも同病名の記載があること等を根拠として、右診断名を続用しているものであり、右診療に関し、審査委員会から再三にわたり、右保険診療に関する診断名の変更及び療法の検討を要請されたにも拘らず、控訴人においてこれを拒否し、自ら適正と考える股関節周囲炎なる病名に基づきこれに対するステロイド療法の施行等を継続し、このため、被控訴人基金において、右診断名をも勘案し、控訴人の診療報酬請求につき審査のうえ、減点の措置をとつたことが認められるので、以下、かかる控訴人の診療が、診療報酬請求権発生の前提内容である療養の給付として、前記健保法及び療養担当規則に適合するものであるか否かについて検討する。
(1) 股関節周囲炎等に関する医学、医療の一般的状況
ⅰ 控訴人のいわゆる股関節周囲炎
<証拠>によれば、控訴人は、そのいう股関節周囲炎について、大要次のような医学理論を提唱して、それに則した治療方法を採択し、かつ、これを独自なものでないと評価していることが認められ、この反証はない。
イ 躯幹あるいは下肢に及ぶ広範な筋肉痛(場合により臀部痛)を主訴とする患者のうち、股関節周囲部(重要なのは梨状筋部であるが、大腿骨大転子の場合もある)に著名な圧痛の認められる者があり、その圧痛部に副腎皮質ホルモンであるステロイド剤を注射することにより、当該患者の躯幹あるいは下肢に及ぶ広範な筋肉痛が早期に消失あるいは軽快する症例が多数存在するが、このような傷病に着眼し、これを股関節周囲炎と称している。
股関節周囲炎は、このように股関節周囲組織に刺激状態、炎症の存在することの想定できる疾患であるが、かかる股関節周囲組織の刺激状態を原因として、下肢や躯幹に反射性の筋収縮が起り、この収縮が持続することにより筋肉が疲れ易く、伸展や収縮でも痛みを生じ、あるいは腱付着部が過敏になる。このような場合、筋腹に圧痛を認めることができ、この状態を腱筋症あるいは反射性腱筋症という。また、逆に、下肢あるいは躯幹に存在する刺激状態、炎症が、股関節周囲組織に右の意味での反射性腱筋症を惹起し、股関節周囲組織にも刺激中枢(刺激の中心)を産出する。これらの刺激状態は相互に干渉し合い、第二次的に産出された刺激中枢が第一次的に生じた刺激中枢の腱筋症を増悪させることもあるが、一般的には、股関節周囲組織に治療を加えると、他の部位の炎症も消失あるいは軽快する。以上から、股関節周囲炎は、股関節周囲組織に刺激中枢を有する反射性腱筋症と定義できる。
ロ 股関節周囲炎の診療においては、医学成書に記載されている一般的な診察ないし問診のほか、筋収縮の状態の触診、及び圧痛部位の検索が重要である。この検索は、患者を側臥位とし、下側の下肢を伸展し、上側の股関節を約九〇度屈曲し、膝関節も屈曲し、大転子と坐骨結節の二点を確かめ、この二点を結ぶ線分を底辺とする正三角形に近い二等辺三角形の頂点を想定して、その部位の圧痛を確かめる方法で行う。圧痛点の存在部位は、梨状筋部が大部分で、その他に、股関節部前面、大臀前縁、大腿二頭筋、大腿二頭筋腱等に存在する。股関節周囲炎の診療では、レントゲン線(以下、レ線という)像は必ずしも鑑別診断の対象とはならず、例えば、レ線的診断名である変形性脊椎症、その他脊椎骨粗鬆症等を認めても股関節周囲炎との診断を妨げない。また、股関節周囲炎は、腰背痛ばかりでなく、ぎつくり腰、打撲症、肋骨骨折腰椎横突起骨折、背胸部の帯状胞疹(ヘルペス)、鞭打損傷の一部、肩関節周囲炎等を原因あるいは結果とする場合もあり、右各疾患の診断をすると同時に股関節周囲炎の診断をすることも妨げず、その治療が右各疾患に有効でもある。そして、変形性脊椎症、座骨神経痛、腰痛症のいわゆる三大腰痛症と股関節周囲炎とは便宜的な区別であつて見方を異にするに過ぎず、したがつて、これらを併記することもある。
ハ 股関節周囲炎の治療につき、まず、その注射療法は、ステロイド剤の局所的効果を目的とするものであつて、刺激中枢に対する局注療法によつて行う。通常は梨状筋部に局注するのが有効であるが、必要に応じ、股関節部の他の圧痛部位、及び、膝窩部にも局所注射する。薬剤は、普通シエリゾロン二五mg、ブレドニゾロン25mg、あるいは、ケナコルトA10mgを用いる。通常ステロイド剤の局注療法は、週一回の割合で行ない、一度にせいぜい二ケ所以内である。疼痛の激しい場合には、年令体格を考慮して、ケナコルトA40mgを用いることもある。なお、ステロイド剤と低濃度局麻剤(0.5%キシロカイン等)を混合して使用するときは、5ccの注射器が適当である。筋肉のけいれん、腓返り等があれば、コ・カボルキラーゼの静注も併用する。
牽引療法は、筋肉の収縮している病態につき、これを移動させ、これにより痛みの除去と炎症の軽減を目的として行う。電動式の牽引装置を用い間歇的に下肢を牽引する。腋窩部にベルトをかけて固定し、腰臀部は可動板上におくが、股関節を軽度屈曲し、長軸方向に牽引するのが有効である。大体の目安として、一側下肢を牽引する力は15kgである。適応は刺激中枢の活性が比較的低下している症例であり、一応寝返りが楽にできる患者を対象とし、更に年令や合併症(高血圧症等)を考慮する。牽引療法のほかに、理学療法として低周波療法(最近では温水療法)を行うことがある。
薬物療法では、臀部の収縮している状態を緩解し炎症の消褪を目的として行う。内服薬としては、消炎酵素剤、消炎鎮痛剤、筋弛緩剤、ビタミン剤等を、年令、体格、胃腸障害等を考慮して投与する。その他、低血圧症候群が同時に認められれば、注射療法による腱筋症の回復を有効にするため、エホチールを投与することもある。外用薬としては、スチックゼノールをしばしば用い、時にはゼラップ等の湿布剤を用いることもある。
ニ 控訴人は、そのいう股関節周囲炎が、全身的見地から反応をとらえ、これに対する継続的な治療をするため、フランスの文献に記載されているところより概念が広く稀薄であると結論し、その注射及び治療の特徴として、診断と治療方法の技術が簡単であり、生体の有する自然治癒力を最大限に発揮させるものであり、重篤な副作用も生起する危険はなく、他の医師においても容易にこのような見方に立ちうるとし、右方法により、症状が早期に軽快するところから、患者にとつてのみならず、保険診療としても経済的であるとし、股関節周囲炎の場合は、疼痛刺激と反射による筋肉の収縮、緊張、持続的な緊張を考えるため、右は中枢神経をも合せた考え方ないし治療の方法であると総括している。そして、このようにして行われる控訴人の股関節周囲炎の治療については、その頻度が、毎月、控訴人の社会保険診療報酬の請求にかかる全請求明細書の四〇パーセントを常に超える状態となつている。
ⅱ 股関節周囲炎の医学界での状況
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。
イ 股関節周囲炎という病名は、従来、我が国の医学成書にその記載はなかつたが、控訴人は、肩関節周囲炎からの類推と、フランスの文献等の記載を考慮して、昭和四三年一〇月頃から、この病名による診断を開始した。フランス等の文献には股関節周囲炎という病名を記載しているものがいくつか存在し、我が国においても、最近ではごく少数の医師らが、この病名を評価し、これを使用しているものがみられるが、右周囲炎について成書中でかかる記載をしているものは見当らず、その共通の認識、経験もなく、日本整形外科学会においても、これが承認されるに至つていない。
ロ もつとも、昭和四九年一月二六日開催された北海道整形災害外科学会において、北大整形外科石崎仁英らにより、「股関節周囲炎について」という演題で報告がなされたことがあり、その報告の要旨は、北海道整形外科学雑誌第一九巻第一、二号(合併号)に掲載された。同学会で報告された股関節周囲炎とは、股関節周囲軟部組織の退行変性を基盤として発症する有痛性の関節制動の状態を指す症候群とされ、中年の女性に多く、急性に発症する場合と、慢性的に経過し比較的急性に増悪する場合がある。症状は、股関節部の疼痛で、股関節屈曲位をとり、大腿直筋起始部に限局した圧痛がある。急性例では運動が全方向に制限され、厳しい疼痛、微熱、赤沈亢進があり、全例レ線上大腿直筋起始部に石灰沈着像を認め、これは症状の軽快におくれ、数週から数か月の間に消失する。症状は、保存的療法で比較的速かに軽快し、特にステロイド局注が著効を奏するとされている。なお、右石崎らが扱つた症例は、たまたま全例石灰沈着を伴つていたもので、股関節周囲炎の中には、石灰沈着のない筋腱付着部の炎症、嚢包炎なども含めて考えられているが、これに対し、右学会において、石灰化例もあり、その他の恥骨嚢の炎症も周囲炎の原因と認められるが、原因のわかつているものは、それをもつて病名とすべきだとする発言もみられた。
ハ フランスにおける股関節周囲炎という病名を扱つた文献の一つに、アンリ・セール(モンペリエ医学部リウマチ教室教授)、ルシアン・シモン(モンペリエ医学部教授、病院勤務)共著の「成人の股関節疾患一九六八」がある。右文献にいう股関節周囲炎は、関節周囲要素の損傷過程の総体で、問題になるのは、主として、腱とか漿液包等を犯す変性的病変や時には無菌的炎症性病変であり、実際上は、股関節の石灰性包炎、同石灰性腱炎、転子包炎、転子症候群、転子炎、転子傍包炎、及び、腱炎等の多様な状態を総括したものとされ、臨床症候として、疼痛により股関節周囲炎が判るが、疼痛は大転子の部位に関連して股関節の外側面に限局している。全身的な症候はなく例外的な若干例で一過性の発熱があつた。診察により明らかになるのは選択的な圧痛点の存在であり、その場所は主に大転子の外面でその上椽にあり、上方及び後方約一二横指の部位である。レ線所見として、股関節のレ線検査は、石灰沈着を認めるため十分な軟線を用いるべきである。陽性所見は偶発的である。常在ではないが時には関節周囲の石灰沈着が存在する(症例の二〇〜四〇パーセント)。この石灰沈着の場所、大きさ、形状は非常に多様であるが、その部位が関節周囲炎の局在を表している。レ線的形態として、レ線上石灰沈着を伴うものと、それを伴わない股関節周囲炎との間には本質的な差異はなく、様々な症例において、石灰沈着は次第に消えて行つている。屡々急性の有痛性の炎症発現の後、石灰沈着はぼやけたり消失するが、包内への移行による。関節周囲に潜在的な石灰沈着が存在し、たまたま骨盤のレ線検査で発見されることがあり、注意が必要である。臨床的に痛みの症候がある時しか股関節周囲炎について語れない。そして、その治療方法としては、関節の安静あるいは免荷が非常に有効で、その他アスピリンあるいはフエニールブタゾンの投与は特に局所反応を消失せしめるに足る。選択すべき療法には、ステロイド剤の関節周囲局所注射もあり、補足的にレントゲン治療等があり、慢性の股関節周囲炎では手術の余地はない。石灰化が存在してもその摘出は妥当でない、急性増悪の場合には、治療に一般的なフエニールブタゾン等の抗炎症剤の投与、及び、全身的なステロイドの治療が許容されようとする。以上のような状況から、同文献においていう股関節周囲炎は、肩関節周囲炎に比し頻度が非常に低いとされている。
そして、フランスあるいはドイツにおける他の股関節周囲炎という病名は、その論者によりそれぞれの研究方法、過程等に特殊性があることは否定できないが、右「成人の股関節疾患」に記載されている股関節周囲炎とその基調を同じくするものであるが、これらが特に我が国に紹介された形跡はない。
ⅲ 関節周囲炎及び腰痛疾患の病像等
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。
イ 関節周囲炎としては、肩関節部及び肘関節部について、それぞれ肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)、上腕骨内・外上顆炎が一般的に広く認められた病名として存在する。もつとも、肩関節周囲炎という病名も、肩関節周囲の滑液嚢炎、腱炎腱鞘炎、結合織炎等を総称した症候的な診断名として用いられているものであるが、肩関節周囲炎の原因が明らかになるにつれ、かかる総称を嫌う専門医もある。そして、一般に、関節周囲炎の頻度は、肩関節周囲炎が大多数を占め、上腕骨内・外顆炎がこれにつぎ、他の関節周囲炎は極めて少ないとされている。
ロ 股関節の周囲においても炎症は存在しうるから、股関節周囲炎とも名づけるべき疾患が想定されようが、股関節と肩関節を比較すると次のような差異がある。
股関節は関節の受け(関節窩)に骨頭が納つているため非常に安定した球関節を形成しており、簡単に脱臼することはない。また、股関節の周囲をみると、後部には、梨状筋、内閉鎖筋、双子筋、中臀筋等の筋群があるほか、坐骨神経、上腎神経、中智神経、小臀神経が走行し、大転子部粘液嚢等が存在し、前部には腸腰筋、内転筋等の筋肉があり、股関節前面には、大腿神経、大腿動脈、大腿静脈が走行している等、解剖学的にみて相当大きく複雑な組織構造をしている。これに対して、肩関節は、上腕骨の骨頭の受皿が極端に小さいため、このままでは脱臼するので、これを防止するため、肩胛骨の囲りを棘状筋、三角筋等種々の筋肉群が付着して関節を形成している。この関節は、身体の各関節のうちでも、最も自由に動く関節であり、このために肩関節の筋肉のになう仕事量は極端に大きく、多くの負担によりこの付着部に、動脈硬化、血行障害等の病変が起り易いという解剖学的事情がある。
なお、一般的に肩と股関節では、右のように解剖学的な構造、形状、複雑性のほか組織的にも大きな差があり、また、肩関節周囲炎には既に積みあげられた歴史があり、これにつき共通の理解が得られている病患であるが、股関節周囲炎に関しては、北海道整形災害外科学会における発表、及び、控訴人の研究報告を除きその発表がみられず、なお、追試中であるとされている。
ハ 腰痛疾患は各種存在するが、その原因としては、大別して、①脊椎骨、椎間板、軟骨組織、骨盤等の支持組織の疾患に基づくもの、②神経、抹梢神経など神経組織の疾患に基づくもの、③消化器、秘尿器などの内臓の疾患に基づくもの、④大動脈等脈管の疾患、例えば動脈瘤等に基づくもの、⑤心因性のもの、という分類が可能である。また、腰痛患者に対する病名として、一般的に頻度の高いものは、変形性脊椎症、坐骨神経痛(椎間板ヘルニアを含む)、腰痛症であり、いずれも同一レベルで考えられる診断名でないけれども、右三つの腰痛疾患は、正確性を別として三大腰痛疾患と呼ばれる。そして、変形性脊椎症は、一定の症状をもち、レントゲン基準があるとして疾患の独立が認められるが、レ線像上変形性脊椎症の所見があつても、それと腰痛との関連が直ちに分明であるというものではなく、坐骨神経痛は一つの症候名であり、ついで、腰痛症も、レ線像的に大して変化がなく、他の原因も判然としないにも拘らず腰痛があるという場合につけられる病名でもあり、現代の医学上、腰痛疾患のうち、真の病像が明確に把握されているものは比較的小数である。
腰痛の治療は、疾患別にそれぞれ特徴があるが、一般には、次のような治療が行われている。すなわち、最も重要なことは、腰部の安静と免荷であり、それとともに消炎鎮痛剤及び筋に攣縮の存在する場合には筋弛緩剤を投与し、あるいは坐薬を処方して急性期をしのぐが、それでも効果がえられない場合にステロイド剤の硬膜外注入(なお、局所麻酔剤との混注もある)を行うことが認められる。そして、亜急性期から慢性期になると場合によつては軟性コルセット等を処方することもある。なお、控訴人は、腰痛患者に対する牽引療法を提唱しこれを実施しているが、これが一般的に認められなくはないとしても、腰痛患者に対してかかる療法を採用する者の存在は、必ずしも明らかでないが少数であり(恩地らも牽引療法を治療による診断法とし、しかも、坐骨神経治療を主体とするにとどまる)、また、急性期の腰痛患者に対する右療法はかえつて有害であるとする考え方がある。
(2) 控訴人の診断と治療について
ⅰ 控訴人の股関節周囲炎の診断
前認定の保険診療、及び、同診療における審査制度の存在を前提とする限り、保険医の診療が、まず当時の臨床医学の実践における医療水準に達した措置であることが要請され、かつ、その診療の必要が存在し、そのための療法として是認されるか否かに関しては、差し当り、その診断における病名を指標とせざるを得ないところであり、したがつて、当該診療が右医療水準に達したとされるためには、右診断名及びその病名が内包するところの病像が医学成書により普遍的なものとして掲記され、これに基づく各臨床医の共通の認識と理解を予定すべきであり、保険診療についての審査委員の審査も、このような共通の場として医療水準に依拠して、かかる診療が右医療の基準に適するか否かの判断を経由すべきであると解するのが相当である。よつて、控訴人のいう股関節周囲炎なる病名とこれに相関する診療が当時の状況上普遍的に是認されたものであつたか否かについて検討する。
イ 前示(1)で認定の事実関係に、<証拠>を総合すると、まず、控訴人のいう股関節周囲炎と北海道整形災害外科学会で報告された股関節周囲炎、ないし、フランス等でいわれる股関節周囲炎(右学会、及び、口外での学説を総称して、単に他の股関節周囲炎という)とは、いずれも股関節周辺の炎症を問題とする点共通し、その症状として股関節周辺の疼痛を診療の対象とし、かかる炎症を除去するため必要な場合には、臨床上ステロイド剤の施用を考えるものであり、股関節周囲炎なる病症の治療につき、ほぼ共通の理解に立つているものと考える余地を残しているけれども、控訴人のいう股関節周囲炎は、他の股関節周囲炎に比し、概念において広く、内容的にも稀薄で多くのものを含むとされており、次のような点でなお著しい差異を示している。すなわち、他の股関節周囲炎は、股関節近傍における同周囲組織の局所的な炎症、股関節の外旋痛に着目してその治療を論ずるものであり、右は、肩関節に対する股関節の解剖学的、組織学的構造から合理性を肯定できるのに対し、控訴人の股関節周囲炎は、一般に是認されるに至つていない反射性腱筋症という概念を通して、股関節周囲組織の炎症に対する治療により、遠隔部位等の炎症をも消失、軽快させうると論じているものであり、これに関連して、他の股関節周囲炎では、股関節前面の疾患ないし股関節部の疼痛として、梨状筋部を特に意識した発表ないし記載はないが、控訴人はその治療の対象部位として、注射療法による経験的な疼痛刺激中枢として臀部後方の梨状筋部を最重要視し、これに対する低濃度局麻剤とステロイド剤の混注の試みに言及しているほか、その他の股関節周囲炎では、同周囲炎につき、フランスの成書においては、石灰沈着及び消失症例に想到しながらレ線像による所見の存在を評価し、この存在との関連による治療指針等にもふれ、また、右学会での報告でも、レ線像、発熱等を重視し、現に全症例に石灰沈着との関連が認められたとされているのに対し、控訴人は、圧痛部位の検索を重要視し、これに対するレ線検査、発熱等を股関節周囲炎の鑑別の対象とすることが稀薄であり、この間の見解が流動的であることが指摘される。
そして、以上のような状況によれば、控訴人のいう股関節周囲炎は、その理論的研究成果を応用したとするフランス等の文献における股関節周囲炎とも既に異なり、いわば控訴人の臨床経験による変容が認められるところであり、なお広く医学界規模における共通の病名としての普遍性を肯認することができないばかりか、前示医療の水準を我国における医療基準を基礎として考察する場合には、当時、股関節周囲炎という病名(診断名)を使用する医師が存在したとしてもその使用はなお散発的であり、この間に、その意義、概念、分類、療法等について統一的理解はなお未確立の状態とみるべきであつて、この病名が成書中に記載されるに至らず、控訴人、及び、前記石崎らの報告も、股関節周囲炎についての各症例ないし知見として発表されたにとどまるというべきであるから、これらをもつて、客観的な定着をみている治療基準そのものに適合したものと解することは困難というべきである。
ロ 控訴人は、そのいう股関節周囲炎が、肩関節周囲炎との同一性ないし本質的共通性から、その概念及び療法を類推して確立された旨述べるところであり、既に認定のように、腰痛疾患中にはその病態が必ずしも明らかでないものが多く、また、症候診断としての関節周囲炎なる病名を使用する例は、肩関節、肘関節等にも存在するので、以上のような状況から、今後の問題として、上肢と躯幹の間の肩関節周囲炎が理解されているのと同じく、これに対応した下肢と躯幹との間の股関節周囲炎ということができるような病態を有する腰痛疾患を追跡する可能性が残り、これをめぐる医学上の仮説が、更にかかる疾患への有効確実な診療は何かを目指して進歩する可能性も否定できない。しかしながら、控訴人のいう股関節周囲炎は、股関節の周囲組織のみならず、それによつて反射的な炎症の存在する遠隔部位(下肢から躯幹を含む広範な部位にわたる)に着目し、この点に他の肩関節周囲炎等のいずれとも異る特徴があるとするものであつて、仮に控訴人のいうように局所の血行障害を基盤として成立する炎症の悪循環の遮断という共通性があるとしても、前示のように肩関節と股関節とは解剖学的な形状、構造においてなお著しい差異を示し、むしろ、股関節周囲の炎症の除去のため、より限局された部位についてその治療を考える立場が存在するところであり、これらに即してみれば、右のように肩関節との差異を無視してまで、両者を関節周囲炎として集約するにはなお限界があると考えられるほか、我が国において肩関節周囲炎については歴史があり、医学上その病態について医学的にも是認されるに至つているのに対し、股関節周囲炎に対する共通の認識、経験がみられず、なおこれが追試の域を出ず、日本整形外科学会においてもこの病名が認められていない状況によれば、控訴人のいう股関節周囲炎が、肩関節周囲炎と共通であり、これに対応する概念であるとするのは躊躇せざるを得ず、したがつて、右股関節周囲炎について、我が国における普遍的な病名、ひいてはこれに対する療法の定着についての疑問が払拭されないところである。
以上述べたところから明らかなように、我が国において、医師によつては、股関節周囲炎なる病名(診断名)を使用し、これに基づく療法を施用する例があるとしても、肩関節周囲炎なる診断が一般的に認められていることを根拠とし、これからの類推により股関節周囲炎の存在が確立され、診療当時の医学、医療の水準上普遍的な共通の理解を有するものと認めることはできないと考えざるを得ない。
ⅱ 控訴人の治療と使用基準
控訴人は、そのいう股関節周囲炎について、股関節周囲部、特に梨状筋部の圧痛点がトリガーポイント(引き金)となり、躯幹から下肢にかけての広範な身体の部位に筋肉痛を惹起するから、右股関節周囲部に対するステロイド剤の局所注射療法等が経験的に最も有効であるとし、その著効性から患者の疾病に対する治療として意義があり、そのメカニズムが未解明でも治療に有効であるとして施用が是認されている療法が存在するというので検討する。
イ 確かに、一般論として、人間の身体は、一つの有機的な統一体であつて、その各組織が相互に連係し、機能的な関連を有するというべきであるから、そのメカニズムは別としても、人体のある部位、組織に生じた炎症等が他の部位、組織の炎症等を誘発、ないしこれに影響を与え、また、これを治療の面からみても、一部位、組織に対する処置が他の部位、組織の治療につき有効な場合もあることを想定することができるけれども、控訴人のいうような股関節周囲部特に梨状筋部の炎症と、躯幹から下肢にかけての非常に広範な部分に存在する炎症(例えば肋骨骨折による痛み、帯状胞疹、肩関節周囲炎等)とがどのように関連しているかについても、また、一般には股関節周囲組織特に梨状筋部の刺激中枢(炎症)が遠隔部位に存在する刺激中枢を支配し、股関節周囲部に対する局所的療法が遠隔部位に存在する炎症にも有効であるということについても、控訴人において、股関節周囲組織の血行障害を基盤とする炎症性変化に着目するとなす説明以外必ずしも明らかでなく、原審証人井上駿一の証言によれば、以上のような点に関して、病気が存在し、刺激に対する閾値が非常に興奮状態で高まつている場合には、普通では起きないものが、解剖学的な点と相まつて局所をおさえると圧痛の認められる場合があり、これをトリンガーポイントとしていること、更に、梨状筋症候群により背痛や腰痛の起ることは理屈として想定し難い、また、股関節周囲の疾患が梨状筋に波及したとすると、最初に来るべきものは、坐骨神経の炎症であり、かつ、それが逆行して腰痛との関係があるというのは、経路が連絡していることと痛みの訴えとの混同ではないかとしていることが認められ、梨状筋部の疼痛刺激により臀部、背部に二次痛を惹起することがあるとする控訴人の見解と対立し、この間に共通の認識、理解があることを肯認せしめるに足る資料もない。そして、なお、控訴人が提唱する腰痛疾患に対する牽引療法の施行に関しては、それが療法として一般的に存在するとしても、前に説示のとおり、腰痛患者に対する右療法の施用についても見解の統一がなく、これが普遍的なものとして同患者に用いられていない状況によれば、腰痛症ないし控訴人のいう股関節周囲炎に対する同療法の必要についての一般的理解はなお存在しないというべきである。
ロ ところで、<証拠>によれば、一般の保険医療機関が行う日常の臨床診断においては、患者の訴える症状をそのまま傷病名としてカルテ等に記載し、対症療法を講じつつ経過観察をするほかないという場合もあり、必ずしも全ての患者につき厳密でなく、かつ、これらについて病理組織学的な診断がなされているわけでないことが認められ、患者の疾患、病状に対する何等かの措置をとることを急務とすべき医療においては、右のような暫定的な措置自体はこれを肯定することができるとしても、前認定のように、控訴人による股関節周囲炎なる病名(診断)については、必ずしも右のような事情によるものと認めることができず、むしろ、控訴人の学理的な認識及び診療効果の著効性を前提とした、いわば病態的解明による股関節周囲炎の妥当性についての確信に基づくものというべきであり、このため、患者の宣伝による同種患者の増加という控訴人医院における治療の状況を考慮しても、なお、結果的には、他のフランスの文献等の指摘する頻度より著しく高い四〇パーセントという数字に表れていることが考えられ、ここに、控訴人のいう股関節周囲炎に関する症例数の上でも控訴人の診療における特異性が強調されるところであり、また、前に説示したところによれば、今後において股関節周囲炎なる疾患が存在するとして医学界の認知を受ける可能性を全く否定することができないとしても、これが医学的になお必ずしも普遍的なものとして認められるに至つていない状況によれば、右のような病態、病像をもつた股関節周囲炎の確立はなく単に研究途上のものにとどまり、右病名に依拠すること自体から、それに基づく診療が医療水準による必要性と相当性に欠けるのではないかとの疑いを抱かせるものである。
ハ 以上のようにして、控訴人が、原判決別紙目録(一)、(二)の多数の患者に対し股関節周囲炎という病名の診断により施療をしている点で、既に医療の基準に適合しない療法ではないかの疑問を生起せしめるものであるが、なお、この場合においても、控訴人が右のほか腰痛症等との病名併記により療法を施行している状況に従えば、控訴人の右患者らに対する診療が、全て規則等に適合しないものであると断定することもできないので、改めて、控訴人が右患者らに対し施行した治療内容が、前示使用方針及び基準に適合するものであるか否かについて検討を進めるに、<証拠>によれば、控訴人は、昭和四八年一月から同四九年五月までの間に、原判決別紙目録(一)、(二)記載の患者のうち、松本もとえが右臀部痛、蓬来かおる、今井幹二、木下禎夫、松尾驕一、尾家苞、佐沢貞子、山本実、吉田光治、木田佳子、桝田一三は腰痛、吉田春重は腰痛(両側)、奥州房治が両下肢のしびれ等、金江よしのが帯状庖疹、胸部の柊痛等、寺尾よしのが右臀部、左腰部痛等、藤井佐喜代が腰部、両臀部痛、岡田和夫が腰痛、右臀部痛、本岡実治が左大腿の疼痛等、木下うめのが下肢疼痛、志方あつみが左臀部疼痛、志方俊之が背腰痛、長谷川光治が腰部捻挫、腰痛、横山宣弘が腰痛、左下肢しびれ感、井関誠が股関節痛を各訴えて、控訴人の診療を求め、これに対し、控訴人は、右患者らについていずれも梨状筋部等の圧痛の存在を根拠に、両側、又は、左右いずれかの股関節周囲炎(但し、志方俊之につき背痛症、佐沢貞子につき腰椎捻挫、また、井関誠につき頸部症候群が併記されている)であると各診断し、右患者らに対し、梨状筋部へのステロイド剤を局所注射する療法を主とし、これに筋弛緩剤等の投与、場合によつては牽引療法(電動変形機械矯正術)等の理学療法を併用する治療を施し、しかも、右ステロイド剤の施用に際しては、ステロイド剤を禁忌とする疾患の有無について留意していたものの他の機関による一般薬剤の施用、ないし、一般薬剤による治療効果、その他症状が急性か否か等については、格別の検討を加えた事跡もなく、従前の療法が効果がなく、逆に、控訴人の局所療法の著効性に対する確信から、これを優先かつ重点的に使用しているものであり、右患者らについての診療報酬のうち、被控訴人支払基金は、右ステロイド剤の注射、及び、牽引療法について減点措置をとり、その支払いを拒絶していることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
そして、前示薬剤の使用基準、及び、<証拠>を総合すると、副腎皮質ホルモンの投与は、それが全く欠乏していない生体に過量のホルモンを投与し、非生理的に血中濃度を上昇させて生体の反応を抑制し、その消炎症作用に期待する療法であるから、その適応を慎重にすべきであり、このため、前認定のような使用基準として、その使用方法及び使用量が規制を受け、他の鎮痛消炎剤による第一次的療法で効果が期待できない場合に始めて使用し、その副作用を考慮した可及的な制限的使用が指示されているところ、控訴人の右施用の状況は、右制約になお必ずしも準拠していないものと認められ、このほか、牽引療法に関しても、前示のようにそれが一般に認められた使用であることを肯認させるに足る証拠もないところであるから、控訴人の施用にかかるステロイド療法、及び、その使用態様、並びに、その行つた牽引療法そのものについては、これが控訴人の股関節周囲炎及び右病名による療法に対する認識と確信に裏づけられている点を併考すると、右各療法は、具体的処置において許容される医師の裁量基準を超えるものとして、これら治療の基準に適合し、かつ、規則の定める基準に合致しているとするについても、大きな疑問が存在するというべきである。
ⅲ 以上のまとめ
以上に、述べたところを総合して考えるに、そもそも保険診療は、全国民を対象として負担と給付の公平を図りつつ、その健康の維持増進を考えるものとして、公共性を有しているものというべきであり、同診療における診療費の支払いが、いわば国民から拠出された貴重な財源により充てられるものであるから(健保法七〇条ないし七二条、地公共済法一一条等参照)、このような観点に基づき保険医療機関に委託して行われる保険医による療養の給付は、まず、診療当時の医療水準への適合を期すべきであり、更に、療養担当規則に定める診療の必要ないし使用基準等についての厳格な制約を予定すべきものであつて、これ等の状況に従えば、なお保険医の診療そのものが現代医学の先端にある療法として大きな治療効果をもたらすものであつたとしても、右のような要請に立つ制度との調和ないし右制度による制約を当然予定すべきであり、この意味で、右使用基準等が、医学、医療の進歩に対する診療報酬請求の側面からする制度的制約として機能することを肯定せざるを得ないところであるから、一般に医師が開発した療法の裁量的判断に基づく施用が、右医療ないし使用基準に合致するものでない以上は、その医学説としての評価ないしは臨床的効果はとも角として、右のような学説に依拠してなされた各措置に基づいて、保険診療における診療報酬請求権自体が発生するに由ないというべきであり、前記認定の事実関係に従えば、控訴人が股関節周囲炎なる診断名により、その療法を施行した各患者につき、診療の必要があると認められる疾病等が存在していたことを推認すべきであるとしても、これに対する控訴人による股関節周囲炎なる診断、及び、この病名との相関において施行された各治療、更には、腰痛症に対する牽引療法については、これが医療関係者の共通の認識に至らず、当時の医学、医療の水準上必ずしも一般的に承認された状況にない療法というべく、これを控訴人の先進的な理論に基づく独特な診療として位置づけざるを得ず、控訴人によるステロイド剤の処方についても、控訴人の学理認識はとも角、副腎皮質ホルモンの使用基準等を遵守したものということができず、右療法が規則に適合したものとなし得ないことも明らかである。
なお、右認定判断に反し、これが健康保険法上の一治療であるとする原審証人合志至誠の証言は採用できないし、股関節周囲炎につき、国保連合会において、これを保険診療とみて特段減点の措置がなかつたからといつて、前認定、判断を左右するものでない。そして、原判決別紙目録(一)、(二)記載のその余の患者らに対する治療については、これを医学、医療の水準、ないし、療養担当規則に適合したものであることを認めるに足る証拠はない。
二してみると、控訴人の本訴請求については、医学、医療の水準ないし規則に適合した療養の給付がなされたことの証明がなく、診療報酬請求権は発生しないと認めざるを得ないところであり、爾余の点を判断するまでもなく理由がないことに帰するから、これをいずれも棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。よつて、これをいずれも棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(大野千里 林義一 稲垣喬)